落合監督とは?

解任報道以来、自分自身でも多くのことを考えてきたが、最近は多くの方のコメントを頂いて多くの見方に触れることとなり、改めて自分の中の落合監督像と、世間における落合監督像、また落合監督に批判的な方々から見る落合監督像が重なることで、3次元となった立体的でよりリアルな落合監督像が心の中に描かれるようになった。


落合監督を歴史上の人物に例えると?

そんな自問をしたわけではないのだが、心の中にふと大村益次郎の事が浮かんできた。彼は司馬遼太郎著「花神」の主人公であり、若い頃この作品に触れて大村益次郎という人物について強烈に惹かれ、人生の目標としてきた。


以下若干大村益次郎について触れるが、昔の記憶であるため記憶違いについては御容赦頂きたい。


しかし改めて記憶をたどると大村益次郎と落合監督には驚くほど共通点が多い。筆者の尊敬する人物であるというのも共通点ではあるが、若き日に出会った大村益次郎については人生の目標と捉え、それから年月を経て出会った落合監督についてはただ感心するばかりであり、自らの志が衰えたことを思い知らされる。



さて、共通点について、能力面で見ると両者とも徹底的な合理主義者であり、またそれを見極める能力において卓越していたことが挙げられる。自らが正しいと考える道をただひたすら進み、その結果圧倒的な勝利を納めていく。合理的に物事を考える能力が卓越し過ぎているあまり、そうでないものの下らなさを見抜いてしまい、結果理論以外に信条を持たないことが自然となる。

一方人物面において、無能な周囲に対する態度も似ているかもしれない。大村益次郎は無能な意見を言う者に対しては一瞥をくれることもなかったようで、それが無能な人物達からの恨みを買うこととなった。落合監督がマスコミから嫌われているのは、マスコミが無能であるが故かもしれない。

また「暑いですね」と問われれば「夏は暑いのが当たり前です」と取り付く島を与えず、周囲を辟易とさせてきたことが逸話として残されている。清廉で温かみのある人物であることが各種資料から見て取れる一方で、不器用で迎合できぬ性格だったのだろう。誤解されやすい性格は短所とも言えるが、長所の裏返しでもあり、ここは評価が分かれる所だろう。

このような人物に対する周囲の対応も良く似ているが、これは必然であるのかもしれない。白井オーナーが落合監督を支持したように、桂小五郎は周囲の雑音にも折れることなく大村益次郎に全権を与え、結果彼は期待に応えて戊辰戦争で官軍を勝利に導いたのだが、責任ある人間には有能な人物を担ぎたいという動機があるため、そのような場合には高く評価される。

大村益次郎の場合、そのような軋轢が無能な守旧派の代表格である海江田信義に恨みを買うこととなり、最後は暗殺されてしまう。落合監督も小松・木俣といった中日OBであることだけに縋って生きる無能な守旧派から反発を食らうこととなったが、落合監督にしてみれば言っているレベルが低すぎてまともに取り合うことができなかったのだろう。海江田にしても大村による戦争の成果である明治維新の恩恵を受けたわけであるが、それが大村の手柄であることすら理解できていなかったと思われる。落合監督を批判する評論家においても、落合監督の偉大さとそれによる恩恵を認めていないのだろう。悲劇という他ない。

一方で彼は死ぬ間際において、当時誰もが予想だにしなかった西南戦争についてそのリスクを懸念しており、遺言としてこれに対する備えを準備している。これが功を奏して政府軍が反乱軍を鎮圧することに成功したのだが、同じように落合監督は高木守道に対し、現時点では誰もが予想しえないようなリスクを伝え、それに対する対抗策まで託していることを期待したい。その場合、高木守道は人の手柄を取るようなことができない人柄であり、きっと彼の口から落合監督が残したものが詳らかにされることだろう。今から楽しみである。


大村益次郎と言えば、タクチーキ(戦術)とストラトギー(戦略)の違いを明確に理解し、ストラトギーの難しさと重要さを理解する人物であったとされている。名コーチとして名をはせた森コーチなども恐らくはタクチーキにのみ優れる人物であろう。ストラトギーに優れた人物は希少であり、その希少な落合監督が中日を離れることについては悔やまれるばかりである。


歴代最高のスタープレーヤーであった高木守道も既に高齢であり、これで晩年を汚すようなことがあっては中日ファンの本位ではない。最低でも任期満了、できればAクラス、あわよくば監督としての初優勝まで期待したく、落合監督には最高の引継ぎをお願いしたい。前回は最下位に沈む中で審判と喧嘩してそのまま休養という子供じみた幕引きとなってしまったが、まさかの再登板であり、なんとか名誉を取り戻して貰いたいものである。